シュタイナー教育〜教科間のつながりの素晴らしさ、でも、もっと大事なこと

先日の記事「シュタイナー教育 一番の特徴は・・・」で、
シュタイナー教育の一番の特徴は「繋がりだ!」ということについて、書きました。

教科の中でのつながり。

切り取った情報ではなくて、
一見無駄とも思えるようなストーリーや裏話が、
生きた学びをつくりだす。

それが大事だってことは、
わかりやすいことだと思うのです。

ものすごく大事です。ほんと。

でも、わたしは、
シュタイナー教育の「繋がり」を考えたときに、
もっと大事なことがあると考えます。

それは、
心との繋がり。

言い換えると「道徳、倫理感」でもあるかもしれません。

高校の授業で「通信技術」のメインレッスンを見学させてもらったことがあります。

通信技術ですから、
電話から始まり、
無線の技術。
そしてもちろん、インターネットや衛星まで、
「科学技術」の話が進みます。

いろんな技術を学び、
その技術を作り出したひとの生き様も学びます。

そしてね、
「コミュニケーションってなんだ?」
というディスカッションもします。

コミュニケーションって、
会って話をしたり、
電話で会話をしたり、
文章で意思疎通しようとしたり、
文章にしても、
直筆の手紙だったり、
SNSのコメントや、LINEのようなチャットだって、
コミュニケーションなわけです。

その手段が変われば、
それぞれにマナーややり方があり、
うまく使わないと、誤解を招いたり、
喧嘩ごしの議論になった経験がある人も、
多いのではないでしょうか。

それぞれに、いいところもあり、悪いところもあり、
使いやすい部分も、使いにくい部分もあるけれど、
それをどう使っていくかというのは、
個人の判断でもあります。

どう使うか・・・というところに、
人間としての心が現れます。

 

ひとと、通じ合いたい。
理解しあいたい。
仲間や輪をひろげたい。
ひとに分かってもらいたい。
相手のことをもっとわかりたい。
ひとに、何かを伝えたい。

「コミュニケーションってなんぞや?」
という議論は、
「コミュニケーション」の道具である科学技術を学ぶうえで、
実は根本的な、人間の問いで、
そこをすっとばすと、

技術が、
人間の諍いの道具にもなるし、
犯罪にも利用される。

 

シュタイナー学校の授業は、
心を育てる内容が、
かならず授業に入っています。

でも、誤解しないでください。

変な道徳の授業のように、
お仕着せがましい倫理観を押し付けるのではないのです。

高校生だったら、
議論しあっていろいろ考えたり、
その技術の背景にある、
いろいろな現実、事件などを見て考えたりする。

小学生だったら、
たくさんの、お話をきいて、
世界の美しいこととか、
いいことをたくさん聞く。
悪いことをしたひと、間違いを犯したひとの話もきく。

そういうことを通して、
心を育て、世界のなかで、
いいこと、わるいことを、自分で考えられるようになっていく。

そんな心の教育が、教科教育のなかに、
切っても切れない存在として入っている。


それがシュタイナー教育。

教科を学ぶことはもちろん大事だけれど、
「道徳」「人の心」も、
学問につながっています。
「道徳」という教科をひとつ切り離して教えることは、
やはり死んだ教育です。

 

つながって初めて、心にとどきます。
心豊かな人間が育ちます。
すごく、すごく、大事なことです。

 

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算数嫌いだった私が数学好きになった理由(3)

算数嫌いだった私が数学好きになった理由(2) からの続きです。

体に染み込んでいた「算数の力」

それは、

計算が正確に早くできるとかではなくて、

算数(他のすべても!)を学ぶための基盤になる基礎力みたいなものともいえるでしょう。

 

 

 

 

 

 

この「基盤」がなくては、どこかでつまづきます。

伸びません。

 

しかも、

算数だけではない、全ての教科につながります。

 

この基盤をおろそかにすると、

低学年のうちは大丈夫でも、

高学年、中学生、高校生になって伸び悩んだりします。

 

しかも、全ての教科において。

 

怖いのは、

低学年くらいでは、

その基礎力がまだ育っていなくても、

それなりの成績がとれてしまうこと。

 

つまり、親も先生も、

成績は悪くないから、

その基礎力がないということに気づきもしないし、

特別にその「基盤」を育てることをしなければいけないとも思わない。

 

 

 

というか・・・・

 

低学年のうちは、

その基礎力を育てるプロセスの途中でもあるのです。

 

 

 

 

昔は・・・(遠い目)

その基盤が、普通の子どもの毎日の暮らしから自然に養われていました。

かなりの割合で。

 

 

 

 

外で思いっきり遊んだり、

ゲームではなくて、アナログの遊びをしていた。

手をたくさん使う遊びをしていた。

遊ぶときに、遊ことを自分で考え出すスペースがあった。

全身で遊ぶことができた。

テレビやゲームよりも、創造的なことをしていた。

リアルで年齢を超えた人間関係もあったし、

自由時間ももっとあった。

暇で暇で仕方がないという有り余った時間のなかで、

自分のやりたいことを見つけていく「ゆとり」があった。

 

 

もう言い出したらきりがないけれど、

昔はそんな環境があったから、

 

そんな遊びのなかから、

学びの基盤が自然につくられていきました。

 

 

 

 

今は、それが少ない。

 

学校でもやってくれない。

 

だから、基盤のないまま、学校にはいり、

ドリル学習や繰り返し学習で、

習得しようとする。

 

 

 

そうやって基盤のないまま学習をつづけ、

中学、高校で、

地域で1、2位の進学校にいるというのに、

四則演算の意味もろくにわかっていない生徒をたくさん見てきました。

分数や小数の意味もわかっていない生徒もたくさん見てきました。

 

 

つまり、高校で進学高に入れるくらいの成績をとっていた子たちでも、

基盤になる力、

算数、数学を「使える力」が、

身についていない。

 

だって、ちょっと記憶力いい子だったら、

その意味がわかってなくたって、

繰り返し練習したら、似たような問題は解けるようになっちゃうんです。

 

 

 

成績いいんだからいいじゃない?

・・・って思いますか?

 

学校の勉強は、いい大学へ入るため!!

・・・だけであるならいいかもしれません。

 

でも、学校の勉強は、

一生を生きぬいていく力を育てるためにあるはずですよね。

小中高12年間の学びは、進学のためだけじゃなくて、

そのあとも使って役立つ力を育てるためですよね。

 

 

算数の力だってそう。

 

問題解けたって、

それを「使って」生活に役立たせたり、

自分の考えを広げていけたり、

大人になってから仕事をする力になったり・・・

 

そして人生を面白くするものです。

 

 

 

 

 

 

 

学んだことが、

知識として頭の中に入っているけれど、

それが何のことなのか、

現実の生活に結びつけられない。

つまり、染み込んでいない。

他のこと、世界のこと、他の教科と、

算数がまったく結びついていない。

 

そんな状態では、学校の場をはなれたときに、

「算数」「数学」は使えません!

 

算数や数学の考え方は、

人生のどんな問題にも使えるんです。

使えたら、

もっと違った角度でものを考えられるし、

問題解決の道具にもなります。

 

 

 

 

 

人生のなかで出会う問題は、試験問題みたいに、

「解いたことある問題」ばかりじゃないでしょう?

 

うまれてはじめてぶつかる問題を、

自分で解決していかなきゃいけないでしょう?

 

 

それには、「使える力」がなきゃダメなんです!!!!!

 

 

 

 

 

 

算数の基盤、算数を使える力があったから、

わたしは中学でぐんっと進歩することができました。

 

それは、学校だけのことではないです。

人生のどの時期においても、

どんな問題がおきようとも、

基盤が絶対的な力になります。

 

 

 

 

 

 

 

 

私は「昔」の世代ですから、

ありがたいことに、

良い環境で子供時代を送ることができました。

 

それに加えて、「あること」で、

ぐんっと伸びる基盤、底力が、

培われていたんだと、確信するのです。

 

その、基盤となる力が、

自然に、楽しく、

しかも、自発的にやりたくてやりたくて仕方がない作業から、

身についていました。

 

 

 

もう随分長々と書いてしまったので、

それが何かということは、また、次回書きます。

続きはこちら

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子どもが輝く学びを今から始めよう
楽しい算数アクティビティ

算数苦手だった私が数学好きになった理由(2)

算数苦手だった私が数学好きになった理由(1) からの続きです。

 

中学時代の大逆転。

 

たかだか成績がちょっと伸びただけのことなので、

大逆転もなにもないのだけど、

 

中学生のわたしにしてみたら「大逆転」を成し遂げた気分。

 

 

 

悔しさがバネになった。

 

 

でも、単に悔しさがバネになっただけで

その大逆転が起きたのではないと思うのです。

 

 

 

 

悔しさがあっても、

基本が身についていなかったらここまで伸びなかった。

 

「身についている」っていうのは、

計算が速く正確にできるとか、

テストで点がとれるとか、

 

そんなことじゃありません。

 

 

 

 

 

「身についている」というのは、

体に染み付いている状態です。

 

頭でわかってるだけじゃありません。

教科書に載っている計算とか、算数の説明がわかるだけではなくて、

 

それが、実際に「使える」レベル。

 

 

 

 

 

教師になって生徒を見ていると、

 

 

成績トップの子で、

テストの点はいいけれど、

算数を実際に「使え」ない子は驚くほど多いです。

(ほんと、力強く強調します。驚くほど多いんです。成績いいからって安心しないで!!!)

 

 

 

 

私は、平均値で、

成績でいえば、月とスッポンのスッポンみたいな子だったけど、

 

算数を「使え」ていた。

 

 

 

 

 

だから、後になって、

勉強して、

試験問題にちょっと真面目に取り組んだら、

成績が軽々伸びた。

 

 

ほんと、軽々。

 

 

 

算数嫌いだったし、成績も良くなかったのに。

算数を「使える」力がついていた。

 

でも、自分では、

平均的な成績しかとってないから、

算数できないと思ってたし、

自信もなかったし、

面白くもなかったし。

 

 

でも、客観的には評価してもらえないところで、

「力」はちゃんとついていた。

(評価ってなんなんでしょうね!?)

 

 

しかも、染み付いていた。

「使える」レベルで。

 

 

それがあったからこそ、

大逆転ができたんです。

 

 

 

 

 

どうやって「染み付く」「使える」算数力がついていたか?

 

 

という話を次回したいとおもいます。

つづきはこちら

e-waldorf の算数講座
子どもが輝く学びを今から始めよう
楽しい算数アクティビティ

リズミックエクササイズ講座〜よく考えられていて関心

リズミックエクササイズ講座、少しずつ発展していくエクササイズ、バラエティに飛んだエクササイズ。本当によく考えられているなと関心しています。

(神奈川県 T さん、教員)

シュタイナー算数教育の美しさに感動

シュタイナー教育の算数の世界にふれ、その楽しさ、美しさに感動しています。毎回のレッスンが、学びの時間であるだけでなく、アクティビティをすることに癒されています。

(山口県 Yさん)

書籍

本を開いて、感激しました。
まさに、私が欲していたものです!
嬉しさのあまりドキドキしながらページをめくり、また感激し・・・でした。
いえ、大袈裟ではなく。本当に。
これで講座に出かけなくても自分で出来るかもしれないという希望が、さっと見ただけでもページから伝わってきました。
(沖縄県 RUさん)

書籍「幾何アクティビティ」

わたし自身、中学・高校以来はじめて幾何に取り組んでいます。
あれほど苦手感があった幾何がとてもとてもおもしろいこと、
そして新しい世界を開いてくれることに、
感動しながら毎日取り組んでいます。
(大阪 ことばの家 諏訪耕志さん)

親子算数レッスン

マンツーマン、本当に贅沢な時間でした!他の生徒さんがいらしていると又違った雰囲気なのでしょうか。やはり、母子対象という部分、私にとっては大変大きな意義を感じました。最近少し反抗的にもなってきた娘ですので、共通の話題ができて何よりです。

黒板で描かれている様もオンライン上ではありますが十分に親近感が持てました!

娘にとって分数は「計算は楽しいから好き」というものの、
具体的なイメージがあまり浮かばないようで文章問題は苦手でした。

今回、体験を通してイメージすることの大切さに気がついたようです。
(愛知 YSさま)