こどもの心が喜ぶ学びって? 小学校1年生に大事なこと

小学校に入学。
ピカピカの一年生。


たくさん友達できたかな。
学校は楽しんでいるかな。

お父さん、お母さんにとって、
まずは、小学校にはいったお子さんが、
学校へ行くことを楽しんでいることって、
ものすごく大事ですよね。

入学前には期待でいっぱいだった子どもが、
入学してみたら、
あまり元気がなかったり、
「学ぶ」ことを楽しんでいなかったり。
宿題をつまらなさそうにしていたりしたら。

・・・心配になりますよね。

 

小学校1年生は学びの始め。

幼稚園までとは違って、
ランドセルを背負って、
とつぜん大きなお兄さん、お姉さんになったように見えても、
入学したからといって、
とつぜん、成長したわけではないです。

 

成長には、段階があります。

小学校1年生の今は、
手足をつかって、体を動かして、
「する」ことから吸収する年齢。


先生やお母さん、大人のすることを、
じっと見つめて、真似しながら、学んでいく年齢。

知識や情報を教えて頭に入れるのではなくて、
体験をとおして、体で感じて、
体験することで、
頭も働く。思考も磨かれる。

そんな年齢です。

お話をきいて、心で感じる。

手がものを生み出す体験をして、
生み出したものに感動したり、

体験したことと、ことばの意味がつながって、
生きてくる。


小学校一年生。

いままで、話し言葉だったものが、
書き言葉になる。

文字そのものは「抽象的」なのです。

漢字は、具体的な形を文字にしたものも多いですが、
ひらがなやカタカナは、
まだまだ「抽象的」なのです。

小学校1年生のこどもは、
抽象的な概念を噛み砕く準備ができていません。

だから、
シュタイナー教育では、
文字を学ぶときに、
具体的なイメージを添えて、
子どもに体験させます。

心で感じ取れるイメージ。
心で感じ取るのは、
ことばだったり、
視覚的なイメージ(絵)だったり、
音だったり、
動きだったり・・・

いろんな活動を通して、
本来抽象的なものも、具体的に感じ取れる状態にして、
子どもたちに届けるのです。

(くわしくは、e-waldorf「こくご教室テキスト」や6月10日発行の「シュタイナー学校こくご教室 ひらがな全集」をごらんください)

子どもは、
抽象的なことを教えられても、
記憶力があるから覚えられます。


覚えてしまえば、大人は安心する。
それって、すごく危険。

 

だって、それでは、
文字も、ことばも、
子どもの中で生きてこないのですから。

 

子どもは、
自分に必要なものを、直感でよくわかっています。

抽象的なものを教えられても、
自分がうけつけないと分かっています。
だから、面白くない。
学習に喜びが感じられない。

自分の中で生きてくるものに、
心からの喜びが生まれます。

大人流のやりかたで教えて、
「テストの点がいい点取れた」とか、
「先生からほめてもらえた」とか、
「よくできました」のスタンプ押してもらえたとか。

心が喜ぶ学びを子どもに与えられないからって、
そんなことで、子どもを騙すのはやめてください。


子どもの心が喜ぶ学びを、
小学校1年生、学び始めの時期だからこそ、
大人が用意してあげてください。

学校でやってもらえないなら、
家でできるのです。

20年以上、子どもに接してきた教師として、
子どもを持つ親として、
はっきりと断言します。

この年齢の子どもには、
お母さん、お父さんが、
ものすごく大きな影響力をもつのです。

だから、お母さん、お父さんが、
子どもに「生き生きとした学び」を届けてあげることができるのです。

そのサポートで、
子どもが生き生きと学ぶ。
目を輝かせる。

子どもが、
学びたいから学ぶような、
そんな学び。

シュタイナー教育の学びには、
そんな子どもの心が喜ぶ学びがあります。

ご家庭で、それを実現してください。

 

シュタイナー教育教材のe-waldorfから。
子どもが輝く学びを一心に願って教材をお届けします。
ひらがな全集を含む、小学校1年生セットも便利です。

算数苦手だった私が数学好きになった理由(5)

算数苦手だった私が数学好きになった理由(1)

算数苦手だった私が数学好きになった理由(2)

算数苦手だった私が数学好きになった理由(3)

算数苦手だった私が数学好きになった理由(4)

からの続きです。

母が教えてくれた手仕事。

 

小学校2年生で鎖編み。

ひたすら編んで編んで。

同じことの繰り返し。

 

できあがるものはただの紐でしかないけれど、

今から思えば、リズムと数を体に染み込ませる練習になってた。

 

それからマフラーとかね。

 

たとえば、小学校4年生くらいかな。

かぎ針編みでベストを編んだり。

ちゃんと減らし目、増やし目あるデザインね。

 

でも、かぎ針編みって、手作りっぽいでしょ。

 

手作りのものばかり着ているわたしは、

「手作り」に見えない、

「既製服」に見える服が作りたかったのです。(笑)

 

だから、棒針編みのセーターを、

間もなくして教えてもらいました。

 

 

母は、一つ目の作品からゲージ(※)をとるという、

一番根本的なやりかたを教えてくれました。

 

(※)​ゲージ:10cmx10cmの正方形が横何目x縦何段になるか。

それをもとに、作りたいもののサイズを計算していくものです。

 

 

 

 

編み物の本でも、

ゲージから編み目の数からすべて計算したものが載っていて、

その通りに編めばいい「作り方」が載っているものがあります。

 

そういうのは一切使わなかった。

 

 

 

 

その作り方を知っていても「応用」できないから。

つまり、そこに載っているデザインそのまましか作れないから、

「そんなものは役に立たないからつまらない!」

と言って。

 

 

だから、まずはゲージをとり、

作りたいデザインのサイズ、形を考える。

 

前身頃の幅、長さ何cm、

そでぐり何cm、

袖の幅や長さは・・・

 

その形に合わせて、

何目を何段・・・というように計算する。

 

袖ぐりの形。

袖ぐりに合わせた減らし目の計算。

 

 

そして、模様編みも、

模様そのものを自分でデザインして、

作りたい形の計算した目数のなかにうまく配置する。

 

うまく辻褄があって、いいデザインになるよう、

そのための計算もぜんぶするわけです。

 

 

それをね、

棒針編みをする一番最初から教えてくれた。

 

 

そのプロセスのなかには、

整数の四則演算もあるし、

小数も分数も使うし、

割合や百分率も考えないといけないし。

(百分率を学校で習う前から実践でつかっていことになります)

 

模様編みを編むのって、

規則性を体に染み込ませるプロセスに他ならない。

 

3目、2目、5目、2目、3目・・・みたいな数列をやってみたり、

それを変化させて、

2目、4目、3目、4目、2目

1目、6目、1目、6目、1目

みたいに、一段ごとに変化させていったり。

 

編みながら瞬時にそんな数列をかんがえているわけです。

 

 

模様によって、

ありとあらゆる数列が出てきます。

 

小学校ではならわない、平方数やら出てきたりもするしね。

 

 

 

それを、

作品をつくりたいがために、一生懸命やっていた。

 

しかも、

もっともっと難しいの編みたい!・・・って思って、

どんどんレベルアップ。

 

しかも、楽しくって!

 

もちろんわたしは、算数の勉強だなんて思ってません。

(もちろん母も、算数の勉強だなんて思ってません。笑)

 

だって、可能性はいっぱいあるんだもの。

好きなものを自由に作れる!!・・・ってわくわくするんだもの。

 

 

 

 

そして、

出来上がったら、「欲しい」欲求も満たされる。(笑)

 

 

 

 

 

 

 

編み物だけでなく、洋裁も。

 

1着の服を作るにもたくさんのパーツがあります。

 

パーツがどうやって組み合わさるのか、

それを考えるのはまさしく「図形」ですよ。

 

自分の体に合わせるために、

計算して、

型紙作って。

 

 

 

 

 

それに、材料を買うところからも考えるわけです。

 

材料は買ってもらえるといっても、

子供ながらにも、できるだけ安く・・・と考える。

 

どんな素材があって、

どんな布だったら作りたいものに合うか。

 

しかも、布によって幅が違うから、

布屋さんに行って、気に入った布をみつけて、

その幅が90cmだから、何m必要とかもその場で計算して。

 

柄を合わせるために、30%余分に買わなきゃいけないとか考えたり。

 

布も糸もボタンもファスナーも裏地も。

 

ちょうどいいサイズのボタンで気に入ったのがないから、

小さめのボタンにして、数を増やそうか・・・とか。

そのためには、ボタンの間隔を何cmにしたら何個ボタンがいるかな?・・・とか。

(自分でデザインしているから、そういうことも自由自在)

 

合計を概算して、これじゃ高すぎるから、

ボタンを安いのにしようか・・・とか。

 

そんなことを、お店で買い物しながら速攻で考える。

 

母はわたしのために計算してくれなかったけど、

必要に応じて計算の仕方を教えてくれた。

 

 

 

手作りはもちろん、

材料調達にも、

すべてに算数が使われている。

 

それを、わたしは自分で計算しなきゃいけない。

 

作りたいから、計算して計画立てたりするのがうれしい。

 

作るプロセスのなかに計算があっても、

嫌だとは全く思わない。

 

 

 

 

母はね・・・・

必要に応じて教えてくれました。

 

教えすぎず、

 

でも、教えるときには、

その計算が、この先ずっと使えて、

応用ができるように説明してくれた。

 

お手軽なやり方ではなくて、

自分で一から作れるように教えてくれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

母が、編み物とか洋裁とかを教えてくれたのは、

決して、

「算数ができるように」

なんて考えていませんでした。

 

でも、自分でつくることの面白さ、

自分で応用して、

自分の考えたものを作り上げていく幸せ、満足感を、

母はよく知っていました。

 

どうやったら、使えるようになるか。

応用できるか。

 

母が教えてくれたことは、

母が考えている通り。

母が手作りに向き合う姿勢そのままでした。

 

だからこそ、

わたしは沢山のことを自主的に吸収できたと思うのです。

 

 

そして、

母は、

 

子どものレベルに引き下げることなく、

大人に教えるように、

本当に使える技術、本物の技術を教えてくれた。

 

そして、無理に教えようとはせず、

「教えて!!」

って私が頼むまでは教えない。

 

 

そして、何よりもすごいのは、

その教え方が、母から自然に出てきたこと。

 

母の自然なありかたそのままで、

教えてくれた・・・。

 

これって、すごいことなんです。

 

 

我が母ながらも、あっぱれ。

 

 

 

 

 

 

 

で、読者のみなさんは、

 

 

じゃあ、わたしはどうやって子供の「基盤」「算数を使える力」を育てたらいいの?

 

 

 

と、目の前の課題(我が子)のことで、

模索して疑問に感じている・・・かもしれません。

 

 

私、編み物もできないし、

手先も器用じゃないし・・・

 

って思っている人もいるでしょう。

 

 

 

 

 

 

だから、

具体的にできることについて、

今度は書こうと思います。

 

次の記事はこちら

算数の底力をつけるヒント(1)

 

 

算数苦手だった私が数学好きになった理由(4)

算数苦手だった私が数学好きになった理由(1)

算数苦手だった私が数学好きになった理由(2)

算数苦手だった私が数学好きになった理由(3)

からの続きです。

 

 

 

算数を使える力、基盤ができていた、

それが自然に育った理由・・・

 

 

それは「手作り」でした。

 

 

 

私は小さいころから絵をかくこと、ものを作ることが大好きでした。

 

 

 

母も手芸が大好きでした。

洋裁、編物、手まり、その他、

和紙人形とか、タバコの空きパッケージで作った傘とかね。

(なつかしい。昭和の手作り!)

 

いつも何かしら作ってました。

 

そういう、ものを作るプロセスを、毎日の生活の中で見ていた私は、

 

わたしもやりたい!!!

 

と自然に思うようになりました。

 

小学校2年生のときに、「編物したい!」と、

母にせがんで編物を教えてもらいました。

 

最初は、ただのかぎ針の鎖編みだけだったけど、

ただひたすら、ひたすら、鎖編みを何メートルも編んだなあ。

目的も何もなくても、ただひたすら編み続ける、

その作業が楽しいお年頃。

 

それから年々、つくるものもレベルアップしていきました。

「やりなさい」なんて言われたことは一度もありません。

 

やりたかったから、やっていた。

そうしたら、自然に手作りのなかで算数をつかっていたのです。

 

 

 

 

「わたしもやりたい!!!」

と思ったのには、

もう一つの側面もあって、

 

「欲しい!!!」

 

という欲求。(笑)

 

 

 

 

 

 

謙虚で節約大好きな母が大蔵省の我が家は、

堅実で質素な暮らしをしていました。

 

だから、欲しいものなんて、なかなか買ってもらえませんでした。

 

不自由していたわけじゃないです。

絶対必要!だというものは買ってもらえました。

 

でも、

親の視点で「必要でない」と判断されるものは買ってもらえませんでした。

 

だから、買ってもらえないなら、

自分で作ろう!!!

 

・・・となったわけです。

 

 

手作り好きな母ですし、捨てられない人なので、

ハギレや、糸、紙、包装紙やリボンなど全部大事にとってあって、

材料はけっこうあります。

 

母が「いつか使えるかもしれない」ととっておいた、

不用品コレクションの箱を見て、

何がつくれるかな、

欲しいものを作るにはどうしたらいいかなーと、

いろいろ考えました。

 

そして、実際に工夫して作ってみました。

 

 

 

さらに・・・・

 

小学校までは、

着るものは母の手作りか、

いとこのおさがりばかりでした。

 

いとこ中で一番年下だったので、

服がまわってくるの。

 

それもたくさん!!

 

 

 

 

しかもいとこは一回り年上くらい歳の離れたいとこばかり。

 

 

つまり・・・・、

強烈な時代遅れなデザインのものが回ってくるのね。(涙)

 

質のいいものだし、

痛んでもいないのだけど、

 

時代遅れというだけじゃなくて、

 

 

趣味あわな〜〜い!!! 涙

 

 

 

でも、

 

「服はあるんだから、新しい服なんて買う必要ありません!」

 

という母。

はい。正論です。

 

「流行は繰り返すからいいのよ」

 

とかね。

 

そりゃそうだけどーーーー。

こんな服着たくなーーーーい。(涙)

 

 

 

 

 

 

ハギレや残り毛糸からはじまり、

いろいろものを作っていたけれど、

さすがに残りの材料では、服まで作れず。

 

でも・・・、

セーターや服を自分でつくるなら、

材料はかってあげる!

 

と母が言ってくれたので、

編みましたよ。

作りましたよ。

 

小学校高学年でセーターやカーディガン編んだし、

スカートやブラウスも。

学校に着ていく冬のコートまで自分で縫いましたよ。

(いとこのお古のじゃあまりにも時代おくれで恥ずかしかったの!)

 

 

「欲しい!」

という気持ちはものすごく大きな動機になりました。

これがあったから創作活動も、さらに意欲が増しました。

 

完成させなきゃ、

「欲しい!」という欲求はみたされないから、

がんばって仕上げるし、

 

欲しいものは次々とでてくる。

 

そして、創作は、延々と続く。(笑)

 

 

 

そして、母は、

作り方もちゃんと教えてくれました。

 

母は教師ではありませんでしたが、

その教え方が、さらに、良かった。

 

 

すごいなあ。我が母。

プロ教師の私から見てもあっぱれ。

 

 

次回は母の教え方について書こうと思います。

 

次の記事はこちら

算数苦手だった私が数学好きになった理由(5)

 


シュタイナー教育の一番の特徴は・・・

アメリカのシュタイナー教育者
ユージーン・シュワルツは、

 

シュタイナー教育の一番の特徴は

「つながり」だ!!!

 

と言いました。

 

教科が繋がっていること。

世界と繋がっていること。

教科の中のものごとも繋がっていること。

 

 

もちろん、他の特徴もたくさんあるのですが。

 

 

よくあるメインストリーム教育、

日本の教科教育では、

 

たとえば、

 

歴史を教えるのに、

いつ、何が起きたかは教えるけれど、

 

その出来事に関わっている人物がどんな人生を歩んだかなどは学ばないし、

できごとの背景にどんな人間模様があったかなんてことは、

 

 

切り捨てます。

 

 

テストに出ないですからね。

 

 

でも、何事も、

そこには人間がいて、

人間の心が動いていて、

人間同士のつながりがあって、

それらが起きている時代背景、

社会の状況、文化習慣などが、

ぜんぶ絡み合ってものごとが起きている。

 

 

もちろん、

それを全て学ぶことはできませんが、

 

情報をブツブツに切って、

「覚えていなくてはいけない情報」を、

生徒に伝えるだけでは、

「死んだ情報」が伝わるだけ。

 

 

そして、

そういう情報からは、

人の心は動きません。

 

どうして人間が醜い争いをすることになったのか、

そこに人間の有様なしで、

情報だけを見たところで、

 

本質はつかめない。

 

心も動かないし、

考える気にもならない。

 

 

 

 

なにが、どういけなかったのかかもわからないし、

 

 

 

どうしたら、

同じ過ちを繰り返さなくていいのかもわからない。

 

 

シュタイナー学校のエポックノート
こちらから画像引用させていただきました。

 

当たり前のことですが、

世界にある、

ありとあらゆるもの、ことは、

つながりあっています。

 

歴史と文化、芸術も繋がっているし、

数学ともつながる。

国語とも外国語とも、ぜんぶつながる。

 

 

それを、

切り刻むことは、

 

 

 

 

脳みそのシナプスをぶちぶち切るのと同じ。

 

 

つながりは多ければ多いほどいい。

そのつながりが、

強ければもっといい。

 

 

テストに出ない、余分で、無駄だと、

思う人もいるかもしれないような、

 

史実の背景にあること、

数学の裏話、

芸術家の人生、

 

・・・それらを学ぶことは、

確実に、つながりの数を増やし、

つながりを強くすることです。

 

 

無駄と思えるかもしれないけれど、

実は、

 

年号とできごとだけを知っている場合より、

年号とできごとを覚えやすくなるし、

他のたくさんのことも頭に入る。

 

そして、何よりも、

ものごとが生き生きと見えてくるということは、

 

 

 

 

「より深く考える」ようになる・・・ということ!

 

 

 

 

これって、

情報を暗記しているより、ずっと大切なことだと思いませんか?

 

 

 

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シュタイナー教育〜教科間のつながりの素晴らしさ、でも、もっと大事なこと

先日の記事「シュタイナー教育 一番の特徴は・・・」で、
シュタイナー教育の一番の特徴は「繋がりだ!」ということについて、書きました。

教科の中でのつながり。

切り取った情報ではなくて、
一見無駄とも思えるようなストーリーや裏話が、
生きた学びをつくりだす。

それが大事だってことは、
わかりやすいことだと思うのです。

ものすごく大事です。ほんと。

でも、わたしは、
シュタイナー教育の「繋がり」を考えたときに、
もっと大事なことがあると考えます。

それは、
心との繋がり。

言い換えると「道徳、倫理感」でもあるかもしれません。

高校の授業で「通信技術」のメインレッスンを見学させてもらったことがあります。

通信技術ですから、
電話から始まり、
無線の技術。
そしてもちろん、インターネットや衛星まで、
「科学技術」の話が進みます。

いろんな技術を学び、
その技術を作り出したひとの生き様も学びます。

そしてね、
「コミュニケーションってなんだ?」
というディスカッションもします。

コミュニケーションって、
会って話をしたり、
電話で会話をしたり、
文章で意思疎通しようとしたり、
文章にしても、
直筆の手紙だったり、
SNSのコメントや、LINEのようなチャットだって、
コミュニケーションなわけです。

その手段が変われば、
それぞれにマナーややり方があり、
うまく使わないと、誤解を招いたり、
喧嘩ごしの議論になった経験がある人も、
多いのではないでしょうか。

それぞれに、いいところもあり、悪いところもあり、
使いやすい部分も、使いにくい部分もあるけれど、
それをどう使っていくかというのは、
個人の判断でもあります。

どう使うか・・・というところに、
人間としての心が現れます。

 

ひとと、通じ合いたい。
理解しあいたい。
仲間や輪をひろげたい。
ひとに分かってもらいたい。
相手のことをもっとわかりたい。
ひとに、何かを伝えたい。

「コミュニケーションってなんぞや?」
という議論は、
「コミュニケーション」の道具である科学技術を学ぶうえで、
実は根本的な、人間の問いで、
そこをすっとばすと、

技術が、
人間の諍いの道具にもなるし、
犯罪にも利用される。

 

シュタイナー学校の授業は、
心を育てる内容が、
かならず授業に入っています。

でも、誤解しないでください。

変な道徳の授業のように、
お仕着せがましい倫理観を押し付けるのではないのです。

高校生だったら、
議論しあっていろいろ考えたり、
その技術の背景にある、
いろいろな現実、事件などを見て考えたりする。

小学生だったら、
たくさんの、お話をきいて、
世界の美しいこととか、
いいことをたくさん聞く。
悪いことをしたひと、間違いを犯したひとの話もきく。

そういうことを通して、
心を育て、世界のなかで、
いいこと、わるいことを、自分で考えられるようになっていく。

そんな心の教育が、教科教育のなかに、
切っても切れない存在として入っている。


それがシュタイナー教育。

教科を学ぶことはもちろん大事だけれど、
「道徳」「人の心」も、
学問につながっています。
「道徳」という教科をひとつ切り離して教えることは、
やはり死んだ教育です。

 

つながって初めて、心にとどきます。
心豊かな人間が育ちます。
すごく、すごく、大事なことです。

 

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算数嫌いだった私が数学好きになった理由(3)

算数嫌いだった私が数学好きになった理由(2) からの続きです。

体に染み込んでいた「算数の力」

それは、

計算が正確に早くできるとかではなくて、

算数(他のすべても!)を学ぶための基盤になる基礎力みたいなものともいえるでしょう。

 

 

 

 

 

 

この「基盤」がなくては、どこかでつまづきます。

伸びません。

 

しかも、

算数だけではない、全ての教科につながります。

 

この基盤をおろそかにすると、

低学年のうちは大丈夫でも、

高学年、中学生、高校生になって伸び悩んだりします。

 

しかも、全ての教科において。

 

怖いのは、

低学年くらいでは、

その基礎力がまだ育っていなくても、

それなりの成績がとれてしまうこと。

 

つまり、親も先生も、

成績は悪くないから、

その基礎力がないということに気づきもしないし、

特別にその「基盤」を育てることをしなければいけないとも思わない。

 

 

 

というか・・・・

 

低学年のうちは、

その基礎力を育てるプロセスの途中でもあるのです。

 

 

 

 

昔は・・・(遠い目)

その基盤が、普通の子どもの毎日の暮らしから自然に養われていました。

かなりの割合で。

 

 

 

 

外で思いっきり遊んだり、

ゲームではなくて、アナログの遊びをしていた。

手をたくさん使う遊びをしていた。

遊ぶときに、遊ことを自分で考え出すスペースがあった。

全身で遊ぶことができた。

テレビやゲームよりも、創造的なことをしていた。

リアルで年齢を超えた人間関係もあったし、

自由時間ももっとあった。

暇で暇で仕方がないという有り余った時間のなかで、

自分のやりたいことを見つけていく「ゆとり」があった。

 

 

もう言い出したらきりがないけれど、

昔はそんな環境があったから、

 

そんな遊びのなかから、

学びの基盤が自然につくられていきました。

 

 

 

 

今は、それが少ない。

 

学校でもやってくれない。

 

だから、基盤のないまま、学校にはいり、

ドリル学習や繰り返し学習で、

習得しようとする。

 

 

 

そうやって基盤のないまま学習をつづけ、

中学、高校で、

地域で1、2位の進学校にいるというのに、

四則演算の意味もろくにわかっていない生徒をたくさん見てきました。

分数や小数の意味もわかっていない生徒もたくさん見てきました。

 

 

つまり、高校で進学高に入れるくらいの成績をとっていた子たちでも、

基盤になる力、

算数、数学を「使える力」が、

身についていない。

 

だって、ちょっと記憶力いい子だったら、

その意味がわかってなくたって、

繰り返し練習したら、似たような問題は解けるようになっちゃうんです。

 

 

 

成績いいんだからいいじゃない?

・・・って思いますか?

 

学校の勉強は、いい大学へ入るため!!

・・・だけであるならいいかもしれません。

 

でも、学校の勉強は、

一生を生きぬいていく力を育てるためにあるはずですよね。

小中高12年間の学びは、進学のためだけじゃなくて、

そのあとも使って役立つ力を育てるためですよね。

 

 

算数の力だってそう。

 

問題解けたって、

それを「使って」生活に役立たせたり、

自分の考えを広げていけたり、

大人になってから仕事をする力になったり・・・

 

そして人生を面白くするものです。

 

 

 

 

 

 

 

学んだことが、

知識として頭の中に入っているけれど、

それが何のことなのか、

現実の生活に結びつけられない。

つまり、染み込んでいない。

他のこと、世界のこと、他の教科と、

算数がまったく結びついていない。

 

そんな状態では、学校の場をはなれたときに、

「算数」「数学」は使えません!

 

算数や数学の考え方は、

人生のどんな問題にも使えるんです。

使えたら、

もっと違った角度でものを考えられるし、

問題解決の道具にもなります。

 

 

 

 

 

人生のなかで出会う問題は、試験問題みたいに、

「解いたことある問題」ばかりじゃないでしょう?

 

うまれてはじめてぶつかる問題を、

自分で解決していかなきゃいけないでしょう?

 

 

それには、「使える力」がなきゃダメなんです!!!!!

 

 

 

 

 

 

算数の基盤、算数を使える力があったから、

わたしは中学でぐんっと進歩することができました。

 

それは、学校だけのことではないです。

人生のどの時期においても、

どんな問題がおきようとも、

基盤が絶対的な力になります。

 

 

 

 

 

 

 

 

私は「昔」の世代ですから、

ありがたいことに、

良い環境で子供時代を送ることができました。

 

それに加えて、「あること」で、

ぐんっと伸びる基盤、底力が、

培われていたんだと、確信するのです。

 

その、基盤となる力が、

自然に、楽しく、

しかも、自発的にやりたくてやりたくて仕方がない作業から、

身についていました。

 

 

 

もう随分長々と書いてしまったので、

それが何かということは、また、次回書きます。

続きはこちら

e-waldorf の算数講座
子どもが輝く学びを今から始めよう
楽しい算数アクティビティ

算数苦手だった私が数学好きになった理由(2)

算数苦手だった私が数学好きになった理由(1) からの続きです。

 

中学時代の大逆転。

 

たかだか成績がちょっと伸びただけのことなので、

大逆転もなにもないのだけど、

 

中学生のわたしにしてみたら「大逆転」を成し遂げた気分。

 

 

 

悔しさがバネになった。

 

 

でも、単に悔しさがバネになっただけで

その大逆転が起きたのではないと思うのです。

 

 

 

 

悔しさがあっても、

基本が身についていなかったらここまで伸びなかった。

 

「身についている」っていうのは、

計算が速く正確にできるとか、

テストで点がとれるとか、

 

そんなことじゃありません。

 

 

 

 

 

「身についている」というのは、

体に染み付いている状態です。

 

頭でわかってるだけじゃありません。

教科書に載っている計算とか、算数の説明がわかるだけではなくて、

 

それが、実際に「使える」レベル。

 

 

 

 

 

教師になって生徒を見ていると、

 

 

成績トップの子で、

テストの点はいいけれど、

算数を実際に「使え」ない子は驚くほど多いです。

(ほんと、力強く強調します。驚くほど多いんです。成績いいからって安心しないで!!!)

 

 

 

 

私は、平均値で、

成績でいえば、月とスッポンのスッポンみたいな子だったけど、

 

算数を「使え」ていた。

 

 

 

 

 

だから、後になって、

勉強して、

試験問題にちょっと真面目に取り組んだら、

成績が軽々伸びた。

 

 

ほんと、軽々。

 

 

 

算数嫌いだったし、成績も良くなかったのに。

算数を「使える」力がついていた。

 

でも、自分では、

平均的な成績しかとってないから、

算数できないと思ってたし、

自信もなかったし、

面白くもなかったし。

 

 

でも、客観的には評価してもらえないところで、

「力」はちゃんとついていた。

(評価ってなんなんでしょうね!?)

 

 

しかも、染み付いていた。

「使える」レベルで。

 

 

それがあったからこそ、

大逆転ができたんです。

 

 

 

 

 

どうやって「染み付く」「使える」算数力がついていたか?

 

 

という話を次回したいとおもいます。

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