私は、いい子でした。子どものころからずっと。問題を起こさず、先生の言うことを守り、校則もちゃんと守って、宿題も、提出物もきっちりと期限厳守。そんないい子でした。
でも、
「あなたはクラスの一番の問題児ね」
って先生に言われた。
それは、大人になって、教師をやめて留学したカリフォルニアのルドルフシュタイナーカレッジでのことでした。
「問題児」って言われたのは、生まれて初めてでした。
ショックでしたね。
私が何を悪いことをしたの!? って。
先生は言いました。
「あなたは、問題を出そうとしない。だから一番問題なのよ。」
って。
根本的に、今まで受けてきた教育と全く違うことを、目の前でたたきつけられた瞬間でした。しかも、自分に向かって。ばしっと。
イギリスで教えていたシュタイナー学校で、ものすごくいい生徒がいました。そっくりな双子で区別つかない。区別つかないくらいに二人ともいい子でした。幼稚園から高校生までずーーーっといい子で通していました。
同僚の先生(担任の先生)が言いました。
「あの双子が、そろそろ問題を起こしてくれるといいのだけど。」
問題のない人間なんていないのです。大事なのは、それを出せるか(発散する手段をもっているか)、出せないか(内に閉じ込めるか)。
出せる人はものごとが大きくなる前に解決できる。出せない人は、苦しむ。苦しむ以前に、問題があることにさえ気づかないで、自分に重圧をかけていたり、傷つけていたり。問題の根本的な原因を無視しようとしていたり。
子どものころの、問題がまだそんなに大きくないころに、問題を出すことを覚えると、その先の大きな問題も解決しやすくなります。
教師として、親として、子供や生徒が問題がないことを喜ぶのではなくて、問題が出てきて、それを受け止めるだけの度量があるということ。そういう教師が、自分の前にいてくれるということ。「問題があっても、受け止めるから、大丈夫よ」という姿勢で、添っていてくれること。問題があってもあなたのことを愛してる・・・という心が、つたわってくること。親や先生の愛を疑わなくてもいいこと。
子供が安心して問題を出せる環境があるということ。それって、すごいことだと思いませんか?
自分の子どものころを振り返ってみてください。
辛かったこと、悲しかったこと。それを親に言って、わかってほしかった。先生に伝えて、理解してほしかった。でも、いうこともできなかった・・・。
その苦しさや悲しさを味わった人も、けっこういるのではないでしょうか。
シュタイナー教員養成では、教員としての教える技術だけではなく、こんなふうに、自分の教師としてのあり方や考え方を根本的に変える学びがたくさんありました。
すごいな、シュタイナー教育。
そんなふうに、子どもを育てたい。だから、私自身も、人間としての成長をまだまだ続けていきます。
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