批判と中傷・・・そしてインフィニティ

 

昨日「批判とか中傷とか」という記事を書きました。

そこで、意見の違うひとに向けてこんなことを書きました。

 

 

あなたの意見は私と違う。協力しあえるところは協力しましょう。違った意見をもったもの同士、違いを乗り越えて協力しあえたらきっと世界は素敵になる。協力しあえない場合は、私は自分が信じることで、世界に貢献する活動を目指します。あなたも、自分の意見を生かして、それをもとに、世界を良くなるような建設的な活動をしてください。

 

この、意見が違う人たちが、お互いにその人の道を歩んでいく。それぞれに別々の活動をしていく・・・というところ、まあ、言い換えれば「勝手にして。私も勝手にするから。」「あなたのことなんて知らないわよ」みたいな、ちょっと冷たさも感じるかもしれません。(はい、わたし、けっこう冷たい女なんです。笑)

 

世界はいろんな糸を混ぜて織った布のよう。

そう例えましたが、違う意見をもってそれぞれの道を歩んでいく人たちは、織物の平行な糸のようでもあります。織物には平行な糸が必要です。しかも、たくさん。世界にも、平行な糸のような存在がたくさん必要でしょう。

 

平行線は、どこまでいっても同じ距離を保っていて交わることはありません。でも、それは、限りのある世界、有限の世界でだけ。

 

限界を超えて、無限の世界にいったら、平行線は無限の世界の1点(無限遠点)で交わります。たくさんの平行な線があったとして、それを無限まで伸ばしていったら・・・平行だったすべての線が1点できれいに交わる。ものの見事に。

 

人もそうだとしたら・・・素敵だと思いませんか? 交わることのなかった人たち。あなたのやってることなんて興味ないわ・・・って思ってるような相手、そして世界中にいる存在さえも知らないようなたくさんの人たちがひとつの点で集まるって。想像しただけで、なんだかわくわくします。

 

 

射影幾何学エポックノートより

 

 

シュタイナー学校では、高校で「射影幾何学」という数学を学びます。日本の文科省カリキュラムの高校では学びません。

日本の教科書では、無限って何かを考える機会もなく、突然 ∞ が式で出てくる。無限については特に説明もなく、よくわからないまま、計算をする。

シュタイナー学校では、式(代数)ではなくて、図形(幾何学)で、作図をして形を見ながら無限についてとことん考えます。(別のときに、微分積分なども勉強します。)

 

シュタイナー教育では、全てが繋がっています。

 

いや、言い換えましょう。

世界では、全てが繋がっています。

 

射影幾何学は学問です。数学です。でも、そこに、人間の姿を見ることもできる。限界に悩む人間像と、限界を超えて自由になる人間やその世界観を感じ取る人もいる。この世での人生と死後の世界と考える人もいるかもしれない。物質界を抜けてスピリチュアルな世界へいくのをイメージする人もいるかもしれない。

 

 

哲学的であり、倫理的であり、人間的であり、でも、正真正銘の数学。

 

数学を学びながら数学以上のことを考え、学び、気づく。それがシュタイナー学校の授業です。

 

シュタイナー教育の教材 e-waldorf シュタイナー学校に通っていなくても学べます

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