こんにちは。
石川華代です。
私は数学教師です。
理系女子です。
でも、昔から「言葉」を大切にしてきました。
今わたしは、イギリスに住み、
英語で生活をしています。
家の中でも英語です。
仕事は日本語です。
日本語と英語の二言語を使いながら思うことは、
言葉が私をつくっている・・・ということです。
英語には、イギリス人の古くからの魂とか文化とかが染み込んでいる。
それだけでなくて、
イギリス人の「ひととなり」や「国民性」が強く滲み出ています。
同じように、日本語には日本の魂と、日本人らしさが、
究極のかたちで凝縮されていると思うのです。
だから、私は日本人ですが、
日本語を話した時と、
英語を話した時とでは、
違うことを感じて、違う人間になります。
話し方も変わります。
はなす言語によって、
人格が変わる人も多いです。笑
話すことば、使う言葉の違いで、
私たちは、コミュニケーションをしたり、
ものごとを表現することをするわけですが、
言葉はそれだけではない。
言葉は、私というひとりの人間よりも、
ずっとずっと長く存在しています。
時代によって変化し続ける生き物のようなものでもあります。
そんな長く生きている「言葉」・・・
言葉そのものに力があり、
いい言葉を使うと、エネルギーが湧いてきます。
言葉って、
私たちの「いのち」と結びついているものです。
美しい言葉を、
その力を感じて、それを大切に話すようになると、
私たちの存在そのものが美しく磨かれてきます。
私は、英語を話しますが、
英語でも、美しい言葉もあれば、美しくない言葉もあります。
私は美しい文化と、
美しい響きをもつ、
美しい言葉を話したい。
そう思っています。
その美しさと、
言葉のもつパワーの、
究極のかたちを教えてくれるのが、
オイリュトミーだと感じています。
わたしという言葉は、
わ・た・し、という3つの音でできている言葉ですが、
「わ」のもつ質、「た」のもつ質、「し」のもつ質。
そして母音「あ」と「い」があるということ。
それぞれに違うクオリティのある音があつまって
「わたし」という言葉ができたことは
「日本人の一人称」を奇跡的に表わしていると感じています。
日本人の一人称が「わ・た・し」で、
英語の一人称が「I」(あ・い)という発音である。
それは、ただの音の違いではない、
その民族の特性をさえも表す深い意味があります。
日本人の自我と、
イギリス人の自我の違いが、
そこにはっきり現れている。
その違いと同時に、
国境を超えて存在する人間の本質も、そこに現れていると思うのです。
それを体験して感じさせてくれるのが
オイリュトミーのすごさです。
ことばって、
「伝える道具」だけじゃありません。
それらのことを感じながら言葉を大切に使うのと、
ただ意味だけで使うのとでは、
わたしたちの、
人間としてのありかたが変わってきます。
美しい言葉は、美しい人間を育てます。
言葉が人間をつくります。
言葉がわたしたちのいのちにもなります。
だから、
そうやって「言葉」を深く感じ取って、
美しいことばを生きていくために、
オイリュトミーはほんとうにすごい力を持っている。
・・・そう思います。
だから、
「いのちのオイリュトミー」なのです。
「いのちのオイリュトミー」という講座名は、
わたしがつけました。
はたりえこ先生は、
その名前に、ちょっとびっくりされました。
意味がすごすぎるから、と。
確かに、ちょっと、奇抜な名前かもしれません。
講座の名前としては、
「いのち」という言葉は力強すぎるかもしれません。
すごい強気な名前ですよね。笑
でも、
オイリュトミーには「いのち」がある。
私は、それを、実感しているから、
思い切った名前だけど
「いのちのオイリュトミー」は、
まさしくぴったりの命名だ・・・と思っています。
言葉のパワーについて、
あれこれ語ってしまいましたが・・・・
言葉にあるパワーはすごくても、
言葉だけでは伝わらないものがあります。
パラドックスのようですが・・・
オイリュトミーをどれだけ言葉で説明してもても、
体験したことがないひとには分かりません。
だから、
オイリュトミーを体験して欲しいのです。
ことばを、
オイリュトミーで動いてみるという体験が、
どれだけ私たちの言葉の体験を豊かにしてくれるかということを、
みなさん自身に体験してもらいたい。
言葉だけではわからない、言葉の奥深さを、
オイリュトミーが感じさせてくれる。
言葉に、オイリュトミーという光をあてて、
今までに知らなかった言葉のパワーを感じて欲しい。
そして、その言葉の美しさで、
みなさん自身の美しさも育てて欲しい。
そう、強く思うのです。
少しでも興味のあるかたは、
こちらに詳しく書いてあります。
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