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シュタイナーの晩年期

明日(2025/11/18)はシュタイナーの晩年期を表現した朗読劇を見に行く。

Fire in the Temple


とりあえず
シュタイナーの晩年期をおさらいしてみた。

みなさんの参考にもなれば・・・と思い、
こちらでシェアします。

🔥 第一ゲーテアヌム焼失から死までのシュタイナー
(1922年12月31日〜1925年3月30日)

1922年12月31日:第一ゲーテアヌム焼失

大晦日の夜、アーレスハイム/ドルナッハの丘に建てられた木造の第一ゲーテアヌムが火災で全焼します。

放火とされていますが、犯人は特定されていません。

シュタイナーにとって、芸術・科学・宗教が統合される象徴的な建築であり、生涯最大の作品の一つでした。

🔥 この火災は、シュタイナーの人生と活動を大きく転換させる事件となります。

多くの芸術家・建築家・弟子たちが深い喪失を経験しました。

1923年:新しい「人智学協会」の再編と集中した講義活動

火災後、シュタイナーは驚くほど精力的に活動を加速させます。

1923年 元旦

焼け跡の前に立ち、すぐに「第二ゲーテアヌム」を建てる意思を語る
しかし体力はすでにかなり衰えていたと言われます。

1923年12月:人智学協会クリスマス総会(クリスマス会議)

シュタイナーは自ら協会の会長に就任。
新しい「ゼーレンカレッジ(霊的指導部)」を設立
多くの基本文書(協会の使命、会則、教育方針)を直接書いたのはこの時期です。
✨ このクリスマス会議は、死の直前のシュタイナーの人生のハイライトの一つとされます。

講義・著作の怒涛の生産

1923年の一年だけで、
教育学
医学
農業(後のバイオダイナミック農法)
社会三分節
芸術(オイリュトミー)
など、各分野で最晩年の核心的な講義が次々と行われました。
特に 「農業講座(1924)」は世界的に最も影響の大きい講座の一つ。

1924年:健康の急速な悪化と「遺言のような講座」

1924年 春〜夏

シュタイナーの健康は急激に悪化。
原因は諸説ありますが、

  • 過労
  • 火災後の精神的衝撃
  • 協会内部の対立

などが重なったと考えられています。
しかしこの時期に、驚くほど重要な講座が集中します。

主な講座

  • アントロポゾフィー医学講座(医学講座)
  • 神智学的人間観の講座
  • 青年たちへの業と人生の講座
  • 農業講座(バイオダイナミック農法の基礎)
  • 教員向け教育学講座
  • オイリュトミーの発展・治療オイリュトミー

彼はすでに重病であったにもかかわらず、
「私の力が残っているうちに、未来に必要なすべてを残さなければならない」
という使命感で語り続けます。
弟子たちは「死を意識しているようだった」と回想しています。

1924年9月~1925年3月:執筆活動と寝たきりの最晩年

1924年9月以降

シュタイナーはついに講義を続けられなくなり、
ドルナッハのアトリエの小さな部屋で寝たきりの状態になります。
しかし驚くべきことに、
毎日文章を口述
図面を描く
第二ゲーテアヌムの指示を出す
協会の方針文書を執筆
など、最後の力を絞って創作を続けました。
この時期の原稿はほとんど遺書に等しい内容です。

1925年3月30日:ルドルフ・シュタイナー死去

場所:スイス・ドルナッハ
年齢:63歳

最後の言葉として伝えられているのは、
 「人類の自由へ」
という祈りのような意志だったと言われています(諸説あり)。


彼の亡骸はドルナッハの丘に葬られ、
後に第二ゲーテアヌム(鉄筋コンクリートの建築)が完成します。
シュタイナーが遺したスケッチがそのまま形になりました。


🌙 この時期のシュタイナーを理解するための全体像

火災は創造活動を燃え上がらせるきっかけになった
しかし身体は限界に向かっていた
死の直前の2年半で、人智学の主要分野はほとんど形になった
最後の講座群は「未来のための遺言」と言える
最後の半年はベッドの上から黙々と仕事を続けた

本記事はシュタイナー教育専門家石川華代のFACEBOOKの投稿より