からの続きです。
母が教えてくれた手仕事。
小学校2年生で鎖編み。
ひたすら編んで編んで。
同じことの繰り返し。
できあがるものはただの紐でしかないけれど、
今から思えば、リズムと数を体に染み込ませる練習になってた。
それからマフラーとかね。
たとえば、小学校4年生くらいかな。
かぎ針編みでベストを編んだり。
ちゃんと減らし目、増やし目あるデザインね。
でも、かぎ針編みって、手作りっぽいでしょ。
手作りのものばかり着ているわたしは、
「手作り」に見えない、
「既製服」に見える服が作りたかったのです。(笑)
だから、棒針編みのセーターを、
間もなくして教えてもらいました。
母は、一つ目の作品からゲージ(※)をとるという、
一番根本的なやりかたを教えてくれました。
(※)ゲージ:10cmx10cmの正方形が横何目x縦何段になるか。
それをもとに、作りたいもののサイズを計算していくものです。
編み物の本でも、
ゲージから編み目の数からすべて計算したものが載っていて、
その通りに編めばいい「作り方」が載っているものがあります。
そういうのは一切使わなかった。
その作り方を知っていても「応用」できないから。
つまり、そこに載っているデザインそのまましか作れないから、
「そんなものは役に立たないからつまらない!」
と言って。
だから、まずはゲージをとり、
作りたいデザインのサイズ、形を考える。
前身頃の幅、長さ何cm、
そでぐり何cm、
袖の幅や長さは・・・
その形に合わせて、
何目を何段・・・というように計算する。
袖ぐりの形。
袖ぐりに合わせた減らし目の計算。
そして、模様編みも、
模様そのものを自分でデザインして、
作りたい形の計算した目数のなかにうまく配置する。
うまく辻褄があって、いいデザインになるよう、
そのための計算もぜんぶするわけです。
それをね、
棒針編みをする一番最初から教えてくれた。
そのプロセスのなかには、
整数の四則演算もあるし、
小数も分数も使うし、
割合や百分率も考えないといけないし。
(百分率を学校で習う前から実践でつかっていことになります)
模様編みを編むのって、
規則性を体に染み込ませるプロセスに他ならない。
3目、2目、5目、2目、3目・・・みたいな数列をやってみたり、
それを変化させて、
2目、4目、3目、4目、2目
1目、6目、1目、6目、1目
みたいに、一段ごとに変化させていったり。
編みながら瞬時にそんな数列をかんがえているわけです。
模様によって、
ありとあらゆる数列が出てきます。
小学校ではならわない、平方数やら出てきたりもするしね。
それを、
作品をつくりたいがために、一生懸命やっていた。
しかも、
もっともっと難しいの編みたい!・・・って思って、
どんどんレベルアップ。
しかも、楽しくって!
もちろんわたしは、算数の勉強だなんて思ってません。
(もちろん母も、算数の勉強だなんて思ってません。笑)
だって、可能性はいっぱいあるんだもの。
好きなものを自由に作れる!!・・・ってわくわくするんだもの。
そして、
出来上がったら、「欲しい」欲求も満たされる。(笑)
編み物だけでなく、洋裁も。
1着の服を作るにもたくさんのパーツがあります。
パーツがどうやって組み合わさるのか、
それを考えるのはまさしく「図形」ですよ。
自分の体に合わせるために、
計算して、
型紙作って。
それに、材料を買うところからも考えるわけです。
材料は買ってもらえるといっても、
子供ながらにも、できるだけ安く・・・と考える。
どんな素材があって、
どんな布だったら作りたいものに合うか。
しかも、布によって幅が違うから、
布屋さんに行って、気に入った布をみつけて、
その幅が90cmだから、何m必要とかもその場で計算して。
柄を合わせるために、30%余分に買わなきゃいけないとか考えたり。
布も糸もボタンもファスナーも裏地も。
ちょうどいいサイズのボタンで気に入ったのがないから、
小さめのボタンにして、数を増やそうか・・・とか。
そのためには、ボタンの間隔を何cmにしたら何個ボタンがいるかな?・・・とか。
(自分でデザインしているから、そういうことも自由自在)
合計を概算して、これじゃ高すぎるから、
ボタンを安いのにしようか・・・とか。
そんなことを、お店で買い物しながら速攻で考える。
母はわたしのために計算してくれなかったけど、
必要に応じて計算の仕方を教えてくれた。
手作りはもちろん、
材料調達にも、
すべてに算数が使われている。
それを、わたしは自分で計算しなきゃいけない。
作りたいから、計算して計画立てたりするのがうれしい。
作るプロセスのなかに計算があっても、
嫌だとは全く思わない。
母はね・・・・
必要に応じて教えてくれました。
教えすぎず、
でも、教えるときには、
その計算が、この先ずっと使えて、
応用ができるように説明してくれた。
お手軽なやり方ではなくて、
自分で一から作れるように教えてくれた。
母が、編み物とか洋裁とかを教えてくれたのは、
決して、
「算数ができるように」
なんて考えていませんでした。
でも、自分でつくることの面白さ、
自分で応用して、
自分の考えたものを作り上げていく幸せ、満足感を、
母はよく知っていました。
どうやったら、使えるようになるか。
応用できるか。
母が教えてくれたことは、
母が考えている通り。
母が手作りに向き合う姿勢そのままでした。
だからこそ、
わたしは沢山のことを自主的に吸収できたと思うのです。
そして、
母は、
子どものレベルに引き下げることなく、
大人に教えるように、
本当に使える技術、本物の技術を教えてくれた。
そして、無理に教えようとはせず、
「教えて!!」
って私が頼むまでは教えない。
そして、何よりもすごいのは、
その教え方が、母から自然に出てきたこと。
母の自然なありかたそのままで、
教えてくれた・・・。
これって、すごいことなんです。
我が母ながらも、あっぱれ。
で、読者のみなさんは、
じゃあ、わたしはどうやって子供の「基盤」「算数を使える力」を育てたらいいの?
と、目の前の課題(我が子)のことで、
模索して疑問に感じている・・・かもしれません。
私、編み物もできないし、
手先も器用じゃないし・・・
って思っている人もいるでしょう。
だから、
具体的にできることについて、
今度は書こうと思います。
次の記事はこちら
算数の底力をつけるヒント(1)
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